燃えよ本願寺(ひとり反省会)

先ずはお聴きください。

反省点、というと「音楽に正解はない」とも反論できそうですが今回の「燃えよ!本願寺」に関しては歴史もあるのでなかなか正解は出ないところ。

故に作者としての歌詞の反省点です。

法然上人・・・上人で良かったのか。
八代蓮如・・・本来なら八世蓮如なのだけど響きだけで八代蓮如にしてよかったのか
弱きを救うため・・・弱くなくたって救うのでこの表現はどうか

解りにくいかなという点

夕陽に叫べよ俺の名を・・・西方浄土に向かって俺(阿弥陀仏)の名を叫べ(念仏せよ)
俺の切なる本願を・・・阿弥陀仏の誓願の17くらいから19番目くらいの誓願
お前の声で・・・口からの声だけでなく、想いも、ジェスチャーも含んでお前の声で


作者以外にとってはどうでもいいけど引っかかるところ!!


https://hasunoha.jp/

ここに相談しちゃおうかと思ったり。
(するぞ。本当にするぞ!?)

にほんブログ村 にほんブログ村へ
▲クリックでやる気出ます▲

人間であるという事

どっか知らない場所の知らないおじさんが亡くなったというニュース。それを見て抱く自分にとっての「おじさんの存在の重さ」と、自分にとっての「うちの犬の存在の重さ」と、どっちが重いだろうか。

正直に言えば、僕にとっては後者が重い。

多分みんなそうなんじゃないかって思う。
なんでなんだろうねって考えたんだけど、多分鍵は「擬人化」にあるんだと思う。

ペットを飼っている人なら解ると思うんだけど、ペットって飼い主の中でかなり「擬人化」されてると思うんだ。

新宿駅南口の混雑を見てみると、ただ雑然と沢山のヒトの移動が行われていて「邪魔だなぁ」と思う。イライラしたりする。
でももしその沢山のヒトが全員知り合いだったらイライラも、知らないヒトの群れよりも小さくて済むんじゃないかと思うんだ。

僕が言いたいのはつまり「ヒトは擬人化されて初めて人間になる」という事。

ペットも擬人化されて家族になるわけだ。それと同じ。
擬人化される前はただの動物でしかないんだよね。
貴方の中で擬人化しなければ、あのヒトも、僕も、貴方にとってただのヒトっていう動物でしかないんだよね。
僕から見てもやっぱり同じ。

まぁそういう事でさ、悪く言うと「そんなもんだ」。良く言うと「擬人化する能力を持つ人間スバラシイ」って感じ。

そういうもんだっ!

にほんブログ村 にほんブログ村へ


▲クリックでやる気出ます▲

必殺技の話。

プロレスに例えると、スピーディでトリッキーな動きで相手を翻弄するタイガーマスクがウエスタン・ラリアットをやったとする。
これ、インパクトないよね。繋ぎ技に過ぎないのがみんな解かってるから。

一方で、イングヴェイ・マルムスティーンがチョーキングをしてもインパクトないよね。
見せ場が速弾きなのをみんな解かってるから。

んで、スタン・ハンセンがウエスタン・ラリアット出すと「うおーすげー必殺技!」って言うくらいのインパクトがあるし、 Orianthi がいいチョーキングを一発かましたら「おおっ、このねーちゃんは!!」ってなる。
ハンセンも Orianthi もきょーれつなものを出してくるんだけど、それとは別に「それが凄い」「ここが見せ場」って事を見てる側が解ってるからだろうと思うんだよね。

音楽の「方向性」もそうで、いろんな事をやっていいと思うんだけど ここぞ って時に使うスタイルっていうか曲の雰囲気っていうのを大事にした方がいいかなって思うんだよね。

▼僕で言うと、夏が近くなるとこういう曲が書きたくなる▼

僕はまだまだ素人に毛が生えた感じなんだけど(でも自信だけはある:笑)「夏が来たらこんな曲」「冬が来たらこんな曲」っていう風に季節によって書き分けていきたいなってそう思ったりしてる。や、思わなくてもそうなっちゃうんだけどね。

つまりさ、ちょっとした事でも大事にしてれば見てる人は大事なんだって解ってくれるし、それが自分のキャラを作って行ってくれると思うよ、って話。

にほんブログ村 にほんブログ村へ
▲クリックでやる気出ます▲