燃えよ本願寺(ひとり反省会)

先ずはお聴きください。

反省点、というと「音楽に正解はない」とも反論できそうですが今回の「燃えよ!本願寺」に関しては歴史もあるのでなかなか正解は出ないところ。

故に作者としての歌詞の反省点です。

法然上人・・・上人で良かったのか。
八代蓮如・・・本来なら八世蓮如なのだけど響きだけで八代蓮如にしてよかったのか
弱きを救うため・・・弱くなくたって救うのでこの表現はどうか

解りにくいかなという点

夕陽に叫べよ俺の名を・・・西方浄土に向かって俺(阿弥陀仏)の名を叫べ(念仏せよ)
俺の切なる本願を・・・阿弥陀仏の誓願の17くらいから19番目くらいの誓願
お前の声で・・・口からの声だけでなく、想いも、ジェスチャーも含んでお前の声で


作者以外にとってはどうでもいいけど引っかかるところ!!


https://hasunoha.jp/

ここに相談しちゃおうかと思ったり。
(するぞ。本当にするぞ!?)

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正直に媚びたり比較したり宣伝したりでいいんじゃない?

 音楽は「自分の為にやってる」わけです。
そういう思いが強い人でも、だからといって「媚びない」「宣伝しない」「比較もしない」と声に出して言うのはどうか、と思うんです。
「自分の為に」と発語した段階で「自分」の定義をしなければならず、さらに「はて自分とは」となった時に他者の存在が確実に必要になるわけです。
「独りでは生きられない」という言葉にはネットワーク的なものだけではなく、自分を保つために他者が必要だという側面もあるでしょう。
 だから音楽をやるにも他者がいないと成立しないわけです。

「媚びてみる」「宣伝してみる」「比較してみる」という行いは「他者にコミットする」という点で普遍的なものです。
確かに「媚びる」「比較する」をやってしまうとモチベーションを保てなくなることもあります。
が、しかしそれを乗り越えられないといけないと思うのです。
音楽でなくても、何気ない日常でも同じ事やってるんですから、それ乗り越えられないならやめちまえ、と個人的には思うのです。
音楽は、いや、ほとんどの行いはコミュニケーションです。
(後で誰かが見るだろう。という予想も含んで)
その事を考えずに「自分の為にやっている」と虚勢を張った所で何にもならないのです。でしょ?

人間とその行動は他者に依存しているからこそ成立するし、多くの他者に依存したがるのは自然な事です。故に「ファンをいっぱい作りたいな」という思いは根源的なもので「媚びる」「宣伝する」「比較する(差別化も含めて)」は当たり前の事なのです。
ですから、虚勢を張って自らが正しいと言い張るのも馬鹿馬鹿しい話で、正直に生きた方がいいんじゃないですかね、というお話でした。

とは言え、わたしのように好奇心でTuneCoreとか有料宣伝サービスに手を出しちゃうといろいろ面倒くさいわけですが(笑)