チャットで「音楽と小説は似たようなもんやで」と友達に言われたので、そう言われた事をできるだけ伸ばしつつ、太宰治風に小品を書いてみたよ。

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「才能」

 お恥ずかしい事に、わたくしは昔から、宵っ張りな性質でございまして、昨夜もまた夜を更かし、もう、夜更けと謂うのも良いところであったと思うのですけれども、或る、小説を表現の手段にしておられる方と、四方山の話を飽きずにし続けていたのでした。
夜更けの四方山も不思議なものでございまして、如何に表現をするかについて、あれでもなければ、これでもないと延々繰り返すうち、音楽の話にまでそれは及んだのでした。
話の流れで、わたくしの作った拙い、小品とでも謂いましょうか、そのような曲を恥ずかしい思いをしながら、ではありましたが、聴いて頂いたのでした。
 その方はわたくしに、いえ、社交辞令の類であるとは思うのですけれども、感ずるところありと評価してくださり、そして唐突に「小説を書きなさい」と、わたくしに言い始めるのでした。
わたくしのようなごとき者に、稚拙な文章より書けぬ者に、小説などとはこの方は、夜更けなだけに、どうにかしているのではないかと思ったものですが、その方が言うには、「小説にはリズムと音程が必要なのですよ」とのことで、ははん、確かに日本語の表現は、五、七、五、等々から、ときに若者が魘されるところの太宰治などに至るまで、リズムに任せるところがあるなと、確かに音楽に繋がるところがあるなと、そう得心したのでした。
 そんなところでわたくしは、その方に唆されるまま、はて何を書いたものかと、一晩悩みに任せ、はて現代で辻斬りがなされる噺でも書いてみようか、であるとか、はて裸の大将は、あれで本当に裸だといえるのかしら、全裸であった場合はどうなのかしら、全裸の大将と呼ばれるのかしら、などと全くくだらない事を、延々と考え続け、朝、全く寝ておりませんのに、無事、熟睡を得られたかのような顔を作り、家人に「おはよう」などと言うのでした。そしてわたくしは、わたくしに向かって言うのでした。
「才能などあるわけがない」。

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太宰のエッセーってこんなだよね。

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僕は双極性障害で所謂「精神病」で、「神経症」じゃないんだけど鬱に振れている時にはまぁ、それなりに「抗鬱」な行動をとるのが安定に寄与するように思われるんだよね。
文章を書くのもそう。
言語こそが人間と言う「症候」のもとなわけで、言語を弄って弄りまくる事でもう一度「人間と言う「症候」に罹り直すわけだ。
音楽もそう。
最近、どちらにもパッションが向ってるんだよね。
まぁ、ブログ再開したのもそういう事。