I voted by absentee ballot at Shinjuku City Office Annex 1.
こう「民主主義」について、引っかかるものがある人って多いんじゃなかろうか。
なーんてね。
「所詮多数決じゃないか」とか「学級会の域を出ないじゃないか」とか、ぼんやりとそう思っている人がいるんじゃないかと思って、僕もぼんやりとそのことについて考えてた。
それもこれも秩序のためなのだ。これでいいのだ。

『慣習』を打ち破るものは『慣習』しかない

そもそも「民主主義」ってそんなに良い事なのかな。
ある程度自由が混ざっているからいいんだけど、集団における意思決定としての「民主主義」ってのは、なーんか喉に小骨が刺さるような気持ち悪さがあると思うんだけど、そんなへそ曲がりは僕だけだろうか。

上にあげたリンクは、ちょっと前にここで書いたエントリなんだけど、そこでは「『会社』という秩序の維持装置」についてと、「じつは『会社』によって再び封建化されている」という事を書いた。

例えばさ、卑近な例なんだけど、凄いいい人が社長だったとする。
しかしながら、「社長」というポジションであるがゆえになんとなく近づきがたくなっちゃったりとかしないか。なんかしてくれてもこっちが遠慮しちゃったりして固くなっちゃうとか。
僕だけかな。

僕だけの事じゃないとして話を続けると、これって凄く封建的な反応というか慣習だよね。「地位は人を作る」とか言われるけどさ、これはちょっと違ってると思うんだ。
「地位で人を作る」。

「学歴」「社歴」「ポスト」「給料」なんでもいいんだけど、いかに「民主主義」とはいえヒエラルキーとは離れられない。

いや、こう言ってしまおう。
「世の中はそもそも常にヒエラルキーが温存され、封建的なままであるが『民主主義』というキーワードによって、それは覆い隠されている」。

選挙ったって結局金があって常日頃握手して回れるだけの余裕がある者が勝つわけだよ。泡沫候補は何をやってもダメ。ウケ狙いで政見放送やってもダメ。

つまりさな、「単なる多数決じゃないか」とか「学級会みたいなものじゃないか」とかそんな批判は的外れで、「民主主義」ってのは本質を「覆い隠すための道具」でしかないんだよな。だからそれ自体を批判しても喉に小骨が刺さるんだ。本質はそこじゃないんだからね。

まぁ、そゆこと。

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 「本質を覆い隠すための道具」で思い出したけど、こないだある会合で「障害は個性です」などと口走った人がいて、未だにそんな事を言うやつがいるのかと半ば呆れつつ、大人の笑みを湛えてみせたよ。怒らなかったよ。
ちょっと前だったら「ああ、じゃぁ貴方の個性は障害なんですね」と反撃していただろうけども、我慢したよ。よく我慢した。僕。

photo by: fukapon