店内の様子
このブログはほぼ死んでいるんだが、FBの方にこう、なんだ、実名では恥ずかしいというか、これまでこのブログで書いてきたような事を書くと顰蹙を買いそうで。
まあ早い話が「匿名っていいよね」的なノリでチマチマ更新を再開しようかなとか思ったり。


と、いうわけでFBに書いたけれども(FBにしては)長文だったものを転載!

==転載はじめ!==

今回のビットコインの揺らぎ(騒動ともいう)は実際の「お金」の裏付けになる権威、権力がそれとは縁遠い「人々」によって作られ、それゆえ堅固であるという証左だろうと逆説的に証明していると思うのだ。ヘーゲル的な「主人と奴隷」な。

「権威、権力(≒法)」は人々が認めているからこそ支配という機能を有するのであって、またそれこそ「下々がコントロールする道具」なのであって、そしてそれに裏付けられた「お金」であるからこそ価値を持つ。
(つまり多くの人々がコントロールしている権威、というか物神崇拝的な認識がなされているから価値を持つ)

コントロールする「人々」が少なければ少ないほど脆いのは自明だし、また「民主的」であればあるほど(支配されていない≒多くの人にとってフェティッシュでない)崩壊は早い。

==転載終わり==

ちょっと転載するには時機を失しているような気もするけど、僕は上のような事を書いていた。

このところ僕の考えの中にバーク的な考えが混ざってきている。

上で言いたかったのはつまるところ、「『慣習』を打ち破るものは『慣習』しかない」ってこと。少なくとも慣習を打ち破るものは理性ではないんだよな。
ほら、近代から今にかけて、いろいろ革命とかなんだかんだあったけれども結局のところ「企業」によって封建的な体制になってるじゃない?

僕が最近言いたいのはそこらへんのこと。

■■

 ブログとかサボってこんなの作ってたよ。
朝、サラリーマンが鉄の意志で出勤する時のテーマ

時間的な余裕はあるんだけど、精神的な余裕がない中でこんなの作ってるんだからブログなんか書けないよなあ・・・。

photo by: kynbit