あー色々あって疲れた。
今年も皆さんお疲れさんでした。
おかわりはないでしょうか。体調なんかどうでしょうか。

 僕はここ数ヶ月、精神分析的な捻くれた考えを持たないでおこうと頑張っていたのですけれども、そういう時期に限ってと言うかなんと言うか、久々に対象aとバッチリ目が合ってしまいまして、とても狂おしい目に遭いました。

 『彼女』は僕との会話において「うん」とか「それで?」とか「どう思いました?」とかそういう僕の発語を促す事を中心にしています。謂わば「傾聴」です。
 僕は必至に頭の中のモヤモヤしたものを言語化して、会話の相手に対してなんとか伝えようと努力をするわけです。
 結果、『彼女』といる時に(それが正しいものかどうかは別として)言語化されて秩序だった物語を得ることになります。
そしてその物語から問題点と思われるものを引っ張り出して(これも正しいかどうかは別として)、対処した気になって「正常(という病気)」に罹りなおすという寸法です。

 しかし僕は(良く聞く事例ですが)「彼女は常に僕に対して まなざし を向けている。僕の事を全て知っている」のだと見事に勘違いしてしまいました(そういう事があると知っているにもかかわらず、です)。

 僕は既婚者で、彼女も(指輪から察して)既婚者でしょう。にもかかわらず彼女の事を結構な割合で考えてしまっていました。
これは一般的にあまりよろしくないことです。
 で、こういうときに役に立つのが精神分析なのでございまして、頭の中の倉庫から引っ張り出さざるを得ない状況になってしまいました(そしてこの出来事を、このようにパロールからエクリチュールに変換することで他人事にする必要も出てきました)。

んで思うのは、彼女自身のまなざしは、僕を特別視していないということです。
僕を見つめている “まなざし” はいうまでもなく、彼女と僕の間にある、もしくは彼女の後ろにある、まぁ位置なんざぁ比喩に過ぎないのでどうでもいいのですけれど、対象aからの“まなざし” でしかありません。いや、言い換えると「『そこにあるはずだと、なんとなく僕が思っている “まなざし” からのまなざし』であると僕が思っているもの」と言ったほうがいいかもしれません。ややこしいですかそうですか。まなざしをこちらに向けている “まなざし” とは一生「会いたくて会えない」。
だから代替物としてアレコレ欲しい。お金欲しい(これはうんこか)。彼女/彼氏ほしい。

 ラカンが金を持っていない患者をグー(かどうかは知りませんけど、チョキではない事は確かでしょう)で殴ったりしたという話を聞いた事がありますが、さもありなん、といったところです。
金銭のやり取りといったビジネスライクな事柄を挟む事によって、恋と勘違いされるのを防ぐ事が出来るからなのでしょう。
僕の場合は心に「『難病』を抱えている」とされているので、料金は一部補助され、しかも払うべきものは後からの請求になります。
これでは「勘違い」してしまうのも無理はないだろうなと、そう思うのでありました。

蛇足としてあてずっぽうを言いますと、恋はパロール(話し言葉と言ううんこの交換)に属すのだろうと思います。そして事務的な入籍の手続きとそれに伴うあれこれによってエクリチュールに変質する。家庭を守り、色々背負い込まなきゃいけないと悲壮な覚悟をして、一方で「嫁が怖い」等々、現実的な方向へ思考が向いていくのはそういう事なのかも知れませんね。

あー、書いちゃってすっきりした(あてずっぽうだけど)。んで嫁がこれを読まなきゃいいけど・・・。