戦車はゼロでいい―防衛予算の優先順位― 站谷幸一
http://news.livedoor.com/article/detail/4905639/?p=1

に目を通して「えー」って思ったのでつっこむ。
フォローともいえないけど、念の為言っておくと「もっとこう総合的に議論しようよ」という氏の趣旨には賛成だ。でも、この論の展開の仕方が「えー」なのでつっこむ次第。

(1)地域紛争における抑止と対処

 抑止とは、自分の望まない行動を実行に移した際には、相手が受け入れがたい制裁を与えるという「脅迫」として使用する力である。狭義の抑止は、敵の軍事力よりも、相手の国民や産業基盤を目標とする。それ故に核戦力が担い手の中心となる。一方、対処とは、敵の攻撃を排除し、攻撃された場合の損害を最小限にするための行動である。この場合は、敵の軍事力の打破が中心となる。

 まず「ん?」と思ったのは
「抑止とは、自分の望まない行動を実行に移した際には、相手が受け入れがたい制裁を与えるという「脅迫」として使用する力である。」

「脅迫」は言いすぎじゃないのかな。
「損得勘定のススメ」とした方がピッタリじゃないのか。
「戦争をするコストに対してメリットが(大幅に)上回らないようにする事」これが抑止だろう。

「狭義の抑止は、敵の軍事力よりも、相手の国民や産業基盤を目標とする。それ故に核戦力が担い手の中心となる。」と言うところも「?」と思う。

「相手の国民や産業基盤」を蹂躙できれば核兵器でなくても良い。
もし、日本の陸上自衛隊が竹槍しか装備していなかったとしてみよう。
そうであれば、旧式のポンコツでも戦車を上陸させて「国民や産業基盤」を蹂躙できる。例えば「日本列島を占拠すること」或いは「日本の産業基盤を破壊する事」に戦略的な利益があって、しかも陸自が「竹槍装備」であれば、戦争を仕掛けるコストは小さく、リターンは大きい。
そういう状況を作らないために、日本に対して戦争を仕掛けるコストを大きくする為に戦車は常に「できるだけスゴいやつ」更新される。

「抑止とはさまざまな要因で複合的に考えなければならない論議である。」

だからこそ「核抑止」ばかりを中心にして考える事は出来ない。氏の言う通り「さまざまな要因で複合的に考えなければならない」から。
「核抑止」は「核抑止」だ。話が別。

対処においてはどうか。これも疑問である。日本に影響する周辺での地域紛争は、半島有事、台湾有事、尖閣諸島・先島諸島・日中中間線での日中間での紛争、ゲリコマが予想されるが、戦車の出番はほとんどない。半島有事に関連して、北朝鮮の潜伏工作員やゲリコマが都市攻撃を行った場合、地方に存在する戦車が出動するころには逃げ去っているだろうし、都市部での運用には政治的な無理がある。

 戦車等を中心にした大規模な上陸戦を、まさに戦車によって阻んでいるから(高コスト化させているから)敵(と想定されるもの)はゲリコマを選択せざるを得ないのである。順番が逆。
じゃぁ「大規模な上陸戦を選択できる状況を作ってやればいいのか」といえば、やっぱりそれは違うだろう。

また基本的には海上戦力や航空戦力の投入が主流になる。沖縄なら運用の余地はあるから必要かもしれないが、北海道にあんなにおいておく理由にはならない。日中中間線での紛争では出番は無い。

 上陸させる為の陸上部隊が大規模であればあるほど、艦隊や軍用機はそれを守る為のリソースを割かねばならない。故に「基本的に」投入される、防衛側の海上戦力や航空戦力は有利な戦いを展開する事が出来る。
90式はそもそも対ソ連のものだからあそこにいるんだろう。
重いし。
それ故に10式が開発されたのではないのかな?

(2)国際協力―国家再建と治安維持―

 近年、アフガニスタンでの活動に必要だからカナダが戦車全廃を覆した事例によって、戦車不要論がなくなったと指摘する向きもあるが、これも論理の飛躍だろう。そもそも、議論のポイントとして、A.戦車が国家再建活動において有効なのか、B.わが国の手法に適しているのか、を議論していないからだ。

「そもそも」の前と後ろで飛躍している。
カナダでの「戦車不要論」が覆ったのは「意外に市街戦や対ゲリラでも有用だった」とわかったからではなかったのか。

「要するに発展途上国での戦車の運用は、復興の基盤を破壊し、」
つまり「核兵器でなくとも」基盤を蹂躙できると言う事だよね。

しかし、それをわが国の「戦争方法」に合致するかは別だろう。そして、おそらく合致しないだろう。わが国の国際平和協力活動の中心が、直接的な対氾濫作戦よりもPRTのような復興活動やその警備であることを考えれば戦車の活用はないだろうし、戦車の投入は現地の民心獲得に支障をきたす。加えて、各国の事例が示すように戦車の投入は兵站に大きな負担を掛ける。また、何より、日本の戦車が、アフガニスタンやスーダンの武装勢力を蹂躙する映像は政権にダメージを与えるだろう。こうしたことを考えればわが国の国際協力においても戦車の必要性は低いといえよう。

そもそも戦車を外に出すということ自体想定されていないではないか。
日本における戦車は目下、大規模な上陸戦を高コストにする為の純然たる「抑止」として機能している。

 このように戦車という兵器システムは、わが国の戦略環境や政策から考えれば優先順位が低いと評価せざるを得ない。もっと言うならば、「日本流の戦争方法」に戦車はあまり合致していない。こう言うと魔法の言葉として、前回の自給率の問題でも出てくるのが「あらゆる脅威にそなえなければならない」「最悪の事態を考えるべき」「将来に備えて」である。

 ここの部分は大まかに同意。
けれども戦車のような技術を要するものに関しては、「将来に備えて」と言う考えが有効であろうと思われる。こういうものは技術が一旦失われると復興に時間がかかるものだ。

国家間紛争の様相さえ変化しつつある現在において、戦車戦がどこで生起するのだろうか。

 生起しないように努力したのではあるまいか?それがそもそも「抑止」というものだ。

確かに戦車全廃論を唱えるつもりは無いが、600台も残す必要は無い

じゃぁそのタイトルはおかしいと思うな。釣りですか。

 それよりも、その削った予算と人員で、A.他の陸自の職種の人員を増やす、B.予備部品でも購入する、C.歩兵銃を統一する。D.機動性を増すために装輪装甲車やヘリを購入する、のが筋だろう。問題は戦略環境や政策から見た優先順位なのだ。

その「筋」はご尤も。
「600輌もいらない」事と、結びは良いと思うんだけど、展開の仕方に(僕が)満足しない。
そんだけ。

あ、それと日本って地雷使わないんだよ。対人地雷。なんかの条約批准しちゃったでしょ。
だから水際で作戦をやるときには機動力と火力を併せ持ったものが必要になるって事も考えとかなきゃいけないよね。