我が家のテレビはケーブルに依存しているので、これまで「地デジ」には何の関心もなかったのだけれども、ふとした事で「地デジ」をwikiで調べてみた。
すると、・・・わぁ、不合理。
「双方向」と言う割には、本当に「双方向」にするためには電話回線に繋がなければいけないんだね。
その上、「現在地デジに対応している世帯が所有するアンテナ」は東京タワーに向いており、「東京スカイツリー」が完成した暁にはアンテナをそっちに向けなおさなければいけないらしい。
二度手間じゃん。
ってかさ、そもそも何故「電波」で発信しなければいけないのだろう。そこが不思議だ。
数年前からNTTが、古いメタルケーブル網を光ケーブルに置き換えようと必死になってる。各世帯に下請けの営業の人がやってきてしきりに「光ケーブルにしませんか」と勧めてくるのは、「光ケーブルに置き換えている間にも収益を得たほうがイイ」という思惑が入っているのだろう。
んなら、「デジタル放送」もケーブルを使ってやればよかったじゃん。NTTとつるんで。
そうすれば、「テレビ電波」分が大気中からなくなるから使用可能な帯域がもっと増えたんじゃないか? 災害時にはテレビよりもむしろラジオだろうし、「災害時に使用するラジオ電波」とかも新設できたんじゃなかろうか。
NTTが「より独占的」になってしまう以外、不都合はないように思える(ってのは言い換えればそこ工夫すれば済む)んだけどどうだ。
しかも、全てのチャンネルが光ケーブルで配信されるのであれば、地方局でしかやっていない妙な番組とかも観ることが可能になるだろう。
【下は妙な番組の例。「いいでば!英語塾」】
どうしてやらないんだろう。
テレビ離れなんかすでに進行中なのだからこういう妙でニッチなのをどんどん全国で観られるようにすれば良いだろうに・・・、競争が怖いのかしら。
僕からすると、多くの人々は「ニッチなものを打ち出して強力な支持を得る」事や、「複数のニッチコンテンツを繋ぎ合わせて大きなものに仕立て上げる」という行為を避けているように見える。それがビジネス的に「避けざるを得ない」のか、無意識的に棄却したがっているのか判らないのだけれど、どうも納得できないでいる。
誰か「ビジネス的に」語れる人がいたら教えて欲しいなと思う今日この頃だ。
これまでの君との会話を考慮すると、「構造を脱力させるもの」としての「ニッチ」を称揚している、と解釈できるんだが、なんか違和感がある。言語化できない。これまではある程度言語化してから言ってたのに(うん、結構考えてからコメントしてたんだぜ?)、今回は違和感だけを表明することにしよう。
言語化できないってことはわたし個人に強く関係することでもあろうな。
なんだろーなー。ニッチとは余剰物である、だから対象aって簡単な連鎖は可能なんだけどなー。
ニッチは欲望の存在しない対象なのか、って言うとなー。
ビジネスでもニッチ戦線は最近重要視されてるんだけどなー。
欲望する側を破壊(攻撃)するニッチ、っていうかなー。
ニッチを求めすぎると市場というパイが形骸化する、っていうかなー。
形骸なら脱臼か。
じゃあいいのか。
でも違和感は消えない。
以上。
脱力じゃなかったな。脱臼か。
この錯誤からわたしの無意識を読み込んでみたまえ。という課題。
嘘。
>これまでの君との会話を考慮すると、「構造を脱力(脱臼)させるもの」としての「ニッチ」を称揚している、と解釈できるんだが
うん。そうだろうね。君の言うとおりだろうと思う。
君は「お前は他の子とは違う」と言い続けられて育ったんだっけね。
実は僕もそう。
「他の子とは違う」の意味は君の場合と全然違ってて、単に母子家庭で赤貧の中にあって「他の子と同じように同じようなものを求めるな」って意味で言われ続けていたんだけど、それを理解するには僕は幼すぎたようで「他の子とは違う」という刻印のみが残ったのだろうと大人になった僕は思っている。
でな、31歳になっといて頭では完全に理解しているんだよ。当時の母が僕に言い聞かせた事の意味。でも刻印だけは消えない。
幼い僕が自然にやっていた事、つまり「(欲望を生み出す)構造を脱臼させる」ことで、大衆的な欲望とは距離を保ち、“それをネタにして笑う”というクセ。これが根底にある(多分)。
その上に、僕の前にネグリが現れるずっと以前の幼い時から、経験的に感じていた<マルチチュード>の側面、つまり「マス的な側面」ではなく「ネットワーク的な側面」が(日頃隠れているけれども実は)強力なものであると言う確信が乗っかっている。
僕が「ニッチ」を称揚するのは、「構造」からはみでているものこそが、実は社会を駆動していると(信仰的ではあるが)考えているからだろうと思うな。
一方で、君がここに違和感を覚えるのは、君のマッピングが綺麗過ぎるからなんじゃないのかと(あてずっぽうだが)思うんだな。
ここでいっちょ、あてずっぽうついでに聞いてみる。
君は、何かに興味を持ったりした時にまず本にあたってみる人なんじゃないかな?で、それから「これは違うんじゃないか」とか考え始めるほうと見た。当たったら100円くれ。
僕は逆で闇雲に考えてから本にあたる。答え合わせ型だ。
だから答え合わせの後、余剰物が(信仰的な物も含めて)いっぱい残る。
そのくせ棄却しないから頭の中は「思考のゴミ屋敷」となっている。
こういう不純物が結構な量含まれていそうな感じ が君の違和感なんじゃないかな、とスゲェあてずっぽう。
そう。僕が「ニッチを称揚」している様は、例えばこういうシチュエーションに例える事も出来る。
一神教が支配的な社会の中にぽつーんと仏教徒がいる。仏教徒じゃなくても多神教ならいいんだけど。
そして叫ぶ。
「それぞれ、それなりに面白いんだからなんだっていいじゃねぇかー!」
でも、みんな反応しない。
言葉では「多様な価値観がいいよね」と言いながら、自分の「多様性」はあまり主張しないでいる。
でも僕は絶望したふりをしながらも知っている。
「多様」が支えているからこそ「単一」は強力なのであり、「単一」が強力なのは「多様」がそれを生み出したからであり、「単一」が「多様」に支持を強いている場合にはその力は弱まり、「多様」が爆発的に広がり、その結果として「単一」が現れた時にこそ、それは最も強力になる。
そして僕は「今年度いっぱいで禁煙せざるを得ないなー」と換気扇の下で呟きつつ、こうも呟く。
「そろそろ多様が爆発的に広がる頃じゃないのかしら」
>君は「お前は他の子とは違う」と言い続けられて育ったんだっけね。
言い続けられてはおらん(笑)。
祖父に一回言われただけ。大人になって「おーそうか」って思っただけよ。
しかしまあ脱臼癖についての自己分析は口を挟む隙もないな。お見事。
>君は、何かに興味を持ったりした時にまず本にあたってみる人なんじゃないかな?で、それから「これは違うんじゃないか」とか考え始めるほうと見た
ああうん、興味や違和感が新たな違和感を産むってところはあるね。
しかし、マッピングがきれいっていうか、ないってか貧弱なんだと思う。
マッピング自体が違和感によって揺るがされる、みたいな。
なので十円だな。
つ【⑩】
>こういう不純物が結構な量含まれていそうな感じ が君の違和感なんじゃないかな、とスゲェあてずっぽう。
その言い方なら、不純物だけなのが自然状態で、そうじゃないところがあるのがわたしにとっての不純物になると思う。
つまり、「答え合わせ」があるところが違和感になるのかね。
いや「不純物」と「答え合わせされたもの」もあっていい。それらがせめぎ合っていないのが不自然感、違和感を感じるのか。
「不純物」と「答え合わせされたもの」は常に反発するものだと思うんだがなあ。
>一神教が支配的な社会の中にぽつーんと仏教徒がいる。仏教徒じゃなくても多神教ならいいんだけど。
ちょうど昨日芥川の『神神の微笑』読んだとこだ。現代だと歯牙にもかけられないだろうなと思った。