冬至だ。
思えば今年は僕にとって酷い年だった。
この冬至が僕にとっての(太陽の再生の象徴としての)冬至であって欲しいものだ。

今年は繰り返し言いたくなるほどの「酷い年」だったのだけれど、思わぬ副産物も僕に齎した。

というか、君の「7:3」の誤謬について、ちらほら考えたんだが、君は「北海道は本当にでかいのかと杞憂」しておきながら、実は「北海道はでかくあってほしかった」ってことだよな、と思った。
これってさ、以前言った「男性同性愛的に対象を揶揄する」にも通底してると思うんだよな。北海道を横綱に連鎖させてることからも、君はファルス的なものを揶揄したり杞憂したりする傾向がある。男性同性愛的に。
この仮説を採用すると、こないだの江頭フロイトとか、フロイトってファルスを揶揄していることになるんだが、だから、君は分析家を釣り師と思ってしまったのではないか、と分析した。下の絵の釣り師は揶揄対象である。君にとって揶揄すべきなのはファルスである。君は分析家をファルス的なものとして見ている。だから、釣り師は分析家でなければならなかった、と。
君が自分を「弟的」って言ったのがなんとなくわかった。
君は社交界のサロンに集う俗物の一歩手前、ってことかね。つかプルーストそのものか。もろ抑鬱だし。つか抑鬱の代表作家としてクリステヴァは語ってるし。

 上記は脂さんの僕に関する指摘。
当たってるかどうかは知らん。そんなん自分で意識できん。だから知らん。
でも他人事として脂さんの指摘を読むと「あー、言えてる」と思う。
僕が持つ「わたし」による謎な決断や行動が、上の指摘を下敷きにして考えると大体すんなり「あー、なるほど」と一連の流れとして理解できる。
これが「間違い」であっても全然かまわないのだ。
精神分析は呪術の類であるし、彼女の呪術にかかって、僕の「わたし」を言語化出来さえすればいいのだ。

なにぶん「自分と向き合う」というのは恐怖だからねぇ。
何回も言うけれど今年は「酷い年」であっただけに、自分と「がっぷりよつ」にならざるを得なかった。追い詰められて思考力も落ちる。余裕もないからパニックにもなる。これを「やむにやまれず」ではなく、自分からやろうなんていうのは狂気の沙汰だ。【禅寺で2~3日だけ修行させてもらって「自分と向き合う」バカ研修】とは話が違うのだ。本格的に出家して「自分とがっぷりよつ」なんて事になったら、それこそ「面壁九年」になってしまいかねないし、それでは社会人として使い物にならなくなる(笑)
そのくらい恐怖に苛まれるものなのだ。

自分で自分とがっぷりよつになる機会ができた事(ほんとはやな事なんだけど)と、そこへ脂さんがフラっとやってきて、僕の姿(部分的にではあるけれど、僕が自発的に見ようとは決してしないだろう部分)を鏡に映して僕に見せた。
「面壁九年」のうち2年くらい縮まったんじゃないか。
いや、まぁ達磨さんだから「九年」で済んだ訳で、僕だとその何倍もかかるだろうし、そのうちの2年だとアレだけどもな。
でもな、これってな、僕にとっては結構な収穫なんだぜ?
「わたし」という「なんだか判らないもの」をリバースエンジニアリングする橋頭堡が出来たって言う意味で。なんかよくわかんないけど、とりあえず、感謝。

 某「秘密結社」のサイトのリニューアルに取り掛かっている。
正直手を焼いている。
現状のデザインは某「秘密結社」の総統の手によるものなのだけれど、細かい技術的な点はおいといて、これがまた“ほぼ完成している”。
デザインとしてちゃんと纏まっていて変え難いんだよなぁ。
この纏まり加減が「あんまり更新されない」一因になっているであろうというジレンマから「リニュアルしね?」と飲み会の勢いで僕から言い出したんだけど、手を焼いている。

ど、どうしよう・・・。