2009.09.28
「日本の夜明けぜよ!」の出典ってなに?
いきなりこんな事を言い出すのはなんだけど、“無理矢理『坂本龍馬のマネ』をしなくてはならない”という無理難題を押し付けられたら十中八九の人は、渋い顔をして「日本の夜明けぜよ!」と叫ぶだろうと思う。
この「日本の夜明けは近いぜよ!」というセリフの出典が突如として気になり始めた。
何が出典なのだろう。ググっても出てこない。
きっと司馬遼太郎かなんかが、作中で勝手に言わせたセリフなんじゃないか、とかそんな風に思うんだがどうだろう。
もしそうであるなら、名ゼリフがあまりない偉人に勝手に何か言わせて定着させちゃう事も出来るだろうなと。定着させた奴が勝ちだなと、そう思ったり。
例えば、小野妹子とかに「日本は狭いアルよ」と言わせてみたり、鑑真和上に「拙僧が一部始終を見届け申した」と(なんか不謹慎っぽいけど)言わせてみたりとか。
まぁ、どうでもいいや。
■■
「リベラルのアメリカも保守のアメリカもなく、ただ“アメリカ合衆国”があるだけだ。ブラックのアメリカもホワイトのアメリカもラティーノのアメリカもアジア人のアメリカもなく、ただ“アメリカ合衆国”があるだけだ」
とは、オバマ米大統領の言葉だけども、こんな事を言い出す一方で、うちの首相は「友愛」と言うキーワードを謳い上げる。その上、自民党の新総裁が「みんなでやろうぜ!」とか言い出した。
ちょっと前まで、新自由主義がどーんと聳えていて弱者の言う事など屁でもない感じだったわけで、なんというかその“「みんな」感”って、
貧富の差拡大→ファッショ
みたいな、どっかで見た風景っていうか、そのまぁ、杞憂であればいいんだけど一抹の不安。
もし空が本当に落ちてきたとしても唯一の救いがあって、それはうちらの首相が環境問題を中心に物を言っているところなんじゃないか。
シュミット風に(しかも乱暴に)言えば政治というのは「友/敵」を別ける操作なわけだから、何かのキーワードで有象無象を束ねようとする時、敵を作らなければならなくなるわけだ。
「国家が人間と認める集合」が「みんな(友)」なわけで、それ以外は「敵」としなければならない。これまでの歴史であれば、「マイノリティを人間以外とする」か、「対立する勢力(または他国)に住む人間を人間以外とする」かってところだったと思うんだ。
けれど今回の
貧富の差拡大→なんらかの何か(多分ファッショ)
という動きの中では、「国家」を軸にして有象無象を束ねる作業の外に現れる「敵」というポジションに「環境問題」という、そもそも人外のものを当て嵌める事が出来る可能性があると思うのだ。
まぁ、それでも「汚す奴は人に非ず」とか言い出して大変な事になる可能性もあるとは思うのだけれど、巧くやれば「環境問題」とか「貧困」とかそういう、概念的なものをあたかも実体があるように見せ掛け、ファッシズムを成功に導く事も可能っちゃ可能だと思うよ。悲惨な流血を伴わないやつね。まぁ、大変だと思うけど。
■■■
いや、別に「ファッショっぽいからダメ」とか言ってるわけじゃないのよ。
人間は生まれながらにして全体主義的だしね。
何故なら、他者を通してしか自己を認識できないんだから社会を重んずるのが人情って話で、しかもちょっと前(現段階もまた)個人主義的な民主主義に振れていたんだから、その反動で社会主義的な民主主義に振れようとするのも人情って話だと思うんだよね。(※)
僕が不安がっているのは、“誰を(何を)「敵」とするのか”なんだ。
過去が過去だけに。
※
人情ってぇのは、裏に義理ってもんが無ぇと成立しねぇってぇなわけで、いやぁ、まぁ、その、義理と個人の情動とのせめぎ合いの中に人情ってぇもんが現れるって話で。
「勝ち」「負け」で別けられちゃぁ、どうも人情が感じずれぇってな話なわけだ。
衆院選見てみりゃ、まぁ、「昔の自民党のパロディ」みたいな民主党が勝っちまったってぇ解釈もできるわな。
これをシミュラークルと呼んじまって良いもんかは、自信はねぇって塩梅だけども、まぁ、改革ってぇよりは保守に振れたと言っちまっていいんじゃねぇかなぁ、なんてな。
(↑精一杯落語風に書いてみた。)

なんか以前君と似てると言ったわたしの知り合いも「義理と人情」って言葉使ってわたしと議論したことあるんだが、わたしいつもこの二項対立に混乱するんだよね。
義理と人情って、何?
義理がロゴスで人情がパトス? ならロゴスの土台はパトスだよね。哲学でもシンボルの裏にはイメージがあるってのが大体の話になってるけど。
でも君は人情の裏に義理があるって言う。
よくわからんのだよな。
すまん、君の考える「義理と人情」って一体どんなもん? って質問だ。
Posted at 2009.10.30 10:28 PM by 脂
何を書いたのか忘れた頃に「とても(言葉を)吟味しなければならない」質問を浴びせてきますね…。
本題に入る前にちょっとした告白をさせていただきますが、僕は基本的に「過去に何を書いたか」よく覚えていません(笑)
論文の引用部分なんかに「[ほげ田ほげ太郎 2005]」とか引用元の論文の所在が記されてますね。あれ、どうして「あ、アノ部分が何年ごろのあの論文に書いてあったな」とか、自著であれば「あれ、あの論文に俺書いたよな」とか、なんで把握できているのか不思議でなりません。
こんな記憶力ゆえに、もう一度自分で書いたものを読み直して(今日この瞬間の僕が)再解釈しなければなりません。つまり、書いた当時に何を考えて書いたのか、必ずしも復元できないよと。無責任なようですが、再解釈にある程度力を入れることでなんとか責任らしきものを果たす努力をしようかなとか、そう思ってます。
前置き長いな。。
考えつつ続く。。
Posted at 2009.10.31 12:07 AM by 中坊俊平太
なんだろうなぁ。
感覚的には簡単なのだけれども・・・。
「ロゴスかパトスか」っつったら、本文に書いたもので言えば
“義理”がロゴスで“個人の情動”がパトス。
僕の感覚では、「人情」ってのはそれらとは違うと思うんだ。
あ、いや。「“義理”=ロゴスか」って言ってもなんか違うような気がするな…。
ちょっと長考。
Posted at 2009.10.31 12:14 AM by 中坊俊平太
いや、ダメ。
“義理”=ロゴス
“個人の情動”がパトス
で割り切っちゃダメだ多分。
Posted at 2009.10.31 12:28 AM by 中坊俊平太
“義理”とは“互酬性の原理に基づいた贈与交換システム”と言っていいと思う。
パトスと呼んじゃいたいほど強烈な、脅迫的で信仰的なメカニズム。
今では“義理”がまがい物に摩り替わっている事が多いように思われるけれども(wikipedia「義理」)、時代によっては“義理”で死を選ぶやつがいたくらいの強烈なメカニズムだ。
「“義理”=ロゴス」と捉えてしまうと、全容がつかめなくなるように思う。
(「ちょっとした恩を返すのに命がけ」なやつなんか“ロゴス”じゃ説明つかんでしょ)
多分単純な「二項対立」ではない。
Posted at 2009.10.31 1:17 AM by 中坊俊平太
めんどくさくなってきたから簡単にこう言ってしまおう。
【1】網の目のように張り巡らされた“互酬性の原理に基づいた贈与交換システム”があって、空白地帯に“人情”があるというのが僕のイメージかな。
井 ←網の目
丼 ←ヽのとこが“人情”(?)
“義理”があるのが前提。しかし“人情”があることが前提ではない。
しかも、双方は本質的には同じもの。
【2】“義理”は応酬、“人情”は自発性を多分に含む。
脂さんがプロレスの「お約束」を知っているかわからないけれど例えちゃうと…
・タッグマッチをやっている。
赤コーナーのタッグをそれぞれ赤A、赤Bとする。
青コーナーも同じく青A、青Bとする。
・ゴングが鳴って、リング内では赤Aと青Aが 交互に 逆水平チョップを打ち込む。意地の張り合いだ。チョップなのに胸から血が出てる。(義理)
・だが、青Aがある拍子にひるむ。
赤Aはその隙を狙って、青コーナーで待機する青Bにドロップキックを見舞う。(人情)
自分で例えててわかんねぇ・・・
Posted at 2009.10.31 1:43 AM by 中坊俊平太
>“義理”とは“互酬性の原理に基づいた贈与交換システム”と言っていいと思う。
の部分のコメント全文は、わたしも大体似たようなことを考えていた。
でも次の
>井 ←網の目
>丼 ←ヽのとこが“人情”(?)
で、網の目が「義理」なら、
>人情ってぇのは、裏に義理ってもんが無ぇと成立しねぇ
って矛盾するよね。網の目だけで成立してるんだから。
>赤Aはその隙を狙って、青コーナーで待機する青Bにドロップキックを見舞う。(人情)
ってぇことは何かい? 人間の予測不可能な感情的言動を人情だっつってんのかい?
違うか。
いやわたしもテレビや本で「義理と人情」がどういうものか大体知ってるつもりなんだが、君やその知り合いと話していると「義理と人情」のシニフィエが何を示しているか(わざと言ってるよ)違っているような気がするんだな。
あと社会学の人たちが言う「社会」もわたしとシニフィエが違っているとしか思えない。
Posted at 2009.10.31 2:31 PM by 脂
>って矛盾するよね。網の目だけで成立してるんだから。
あ、ごめん、「それ裏じゃないよね」って意味だった。
Posted at 2009.10.31 2:39 PM by 脂
義理が土台にあって、その土台の上にあって始めて成り立つものが人情?
その贈与うんたらって精神分析厨のわたしなんかはすぐ超自我と結びつけちゃって困っちゃうんだが(この点について反論したいならしてくれ)、超自我が成立した上でのパトス? ってこと?
人情はパトス(の一部かなんかしらんが)であるのは間違いないよな。
んじゃ超自我により選別されて残った「よいパトス」が人情ってことか。
え、じゃあなんで「義理と人情の板ばさみ」って二項対立っぽいことがよくある(テレビの中でだけど)の?
Posted at 2009.10.31 2:43 PM by 脂
「よいパトス」ってのもおかしいか。
網の目って土台の上に乗せることか可能な、許されたという意味で「よい」パトス、か。
Posted at 2009.10.31 2:44 PM by 脂
「許されないパトス」は、たとえばプロレスの試合で、バーリトゥードみたいにいきなりマウントとってぼこぼこにしちゃったりとかになるのかな。でもこれも「凶器を使わない」って網の目の上にあるものかもしれない。じゃあゴングと同時に隠し持った暗器(すまん今ネトゲにはまってるのでこんな語句使う)で相手のノド掻っ切ったりしたら「許されないパトス」になるのか。
違うなー。
プロレスは人並みには知ってるし、その知り合いがプロレスファンだったから大体どういう構造かは知ってるよ。
「プロレスのお約束」も西原マンガでブッチャーと馬場がニコニコしながら流血して戦ってる絵があったんだがそれを連想してる。
つかここのコメント欄書き込む度にスクロールがぴくぴく動いてキモチワリイんだけど。
Posted at 2009.10.31 2:50 PM by 脂
つかさ、君の記事ってメタ視点っていうかマクロ視点のものが多くてさ、「なかなか本音見せないいやらしい奴だなー」って君という「語る主体」の印象(これはその知り合いも似たようなもんだ)なんだが、こういうミクロ視点の記事書けばわたしみたいな「本音を隠そうとするヴェール」を引き裂きたがる人間がやりやすいんだけど。
Posted at 2009.10.31 3:01 PM by 脂
>こういうミクロ視点の
の「こういう」って君の言葉なら
>「とても(言葉を)吟味しなければならない」
思考みたいなもん。
Posted at 2009.10.31 3:02 PM by 脂
>井 ←網の目
>丼 ←ヽのとこが“人情”(?)
はちょっと置かせてもらおうかな。
迷いながら書いている上に、「プロレスモデル」が夕べ自分で思ったほど意味不明でもなさそうな気がしてきたから、こっちでやらせてもらおうかと思って。
>>赤Aはその隙を狙って、青コーナーで待機する青Bにドロップキックを見舞う。(人情)
>ってぇことは何かい? 人間の予測不可能な感情的言動を人情だっつってんのかい?
違うか。
予測は可能だと思うな。
脂さんの“超自我”って謂いは面白いと思うんで、僕も乗っかっちゃって言うと、
「超自我=観客」だと言っていいと思う。
「バーリトゥードみたいにマウントで」とか、「相手のノド掻っ切ったり」っていうのは前者は(状況によってはアリだけど)観客から「しょっぱい」と批難される事が多いだろうし、後者は「ドン引き」でしょ。
「観客(超自我)」にウケるかどうかが、明文化されたルールを越えたルールだといって良いと思うな。
プロレスラーは「観客(超自我)」の期待に沿うようにウケなければならないわけで、それは予測可能だろうね。
そういう意味で言うと、「散々ブッチャーの凶器攻撃に耐えて流血させられてきた馬場が遂にキレて、栓抜きを奪い取って逆にブッチャーを大流血に追い込む」とかよくありそうな(人情)シーンって言うのは、歴史的に言うと「赤穂浪士の討ち入り」みたいな許容をされていると思う(赤穂浪士に同情するのが人情ってもんじゃないかな)。
観客オオウケ。けれど馬場の反則負け。みたいな。
「観客(超自我)」にウケるかどうか、という意味で“義理”も“人情”も本質は同じだと思う。だから二項対立とは言い難いと思うな。
言うまでもなく、プロレスの範囲で言うから「相手のノド掻っ切ったり」ってのはNGだけど、違うシチュエーションではアリだったりすると思うから念のため。
Posted at 2009.10.31 5:28 PM by 中坊俊平太
>え、じゃあなんで「義理と人情の板ばさみ」って二項対立っぽいことがよくある(テレビの中でだけど)の?
「それは義理が形骸化してマナーというスキルに成り下がっていて、その状態を(何がしかの作家やらが)義理だと思い込んでいるに違いない」とエラそうに言いたくて仕方ありません。。
Posted at 2009.10.31 5:31 PM by 中坊俊平太
“とても(言葉を)吟味しなければならない” のがめんどくさいからメタ的なんじゃないかな。僕の記事。自分ではわからんけど。
Posted at 2009.10.31 5:33 PM by 中坊俊平太
>「超自我=観客」だと言っていいと思う。
>「バーリトゥードみたいにマウントで」とか、「相手のノド掻っ切ったり」っていうのは前者は(状況によってはアリだけど)観客から「しょっぱい」と批難される事が多いだろうし、後者は「ドン引き」でしょ。
>「観客(超自我)」にウケるかどうかが、明文化されたルールを越えたルールだといって良いと思うな。
>プロレスラーは「観客(超自我)」の期待に沿うようにウケなければならないわけで、
については全文同意。超自我ってえのはまさしく「大文字の他者」の集合体だから「観客」である。
さすがエセラカニアン。
>予測は可能だと思うな。
ということは、予測可能なパトスが人情である、と理屈的になるがよろしいか?
>「それは義理が形骸化してマナーというスキルに成り下がっていて、その状態を(何がしかの作家やらが)義理だと思い込んでいるに違いない」とエラそうに言いたくて仕方ありません。。
はよくわからん。
わたしはたとえば、その作家が人情を、予測可能なパトスだけではなく予測不可能なパトスと解釈している、つまり「井」の上にないのも「人情」だとしている、と解釈するかもしれない。
まあその作品によるがね。っていうかこういうフレーズが出てくる作品って大概パトス的じゃん。演歌的情念の世界っていうかさ。
>“とても(言葉を)吟味しなければならない” のがめんどくさい
おもしろいよ、こっちの世界も。
Posted at 2009.10.31 5:42 PM by 脂
つーかここでの「観客」を「大文字の他者」にするのはまさしくジジェクだよな。君ジジェク好きだったもんな。
わたしなんかは、観客一人一人の気持ちもあるだろう、たとえば「馬場勝て」「ブッチャー勝て」「馬場むかつくからもっと血を流せ」とか、パトス的なもの。
となると観客は「小文字の他者」となる。対象aになっちゃうのか。
以前「顔が対象a」だとしたわたしから見てとっても程度の低いラカン論使いについてここでぐたぐた言った記憶があるが、それ(ここのコメントの文脈なら「シニフィエ」)を大文字の他者すなわちシニフィアンとするか小文字の他者すなわちシニフィエとするか、の違いだろうな。
あ、ごめん後半独り言になった。
Posted at 2009.10.31 5:50 PM by 脂
>ということは、予測可能なパトスが人情である、と理屈的になるがよろしいか?
まった。言い直させて。
「期待されるパトスが人情である」のほうが僕の感覚に近いかな。
エセセセセ(←エセラカニアンの笑い声)
Posted at 2009.10.31 5:52 PM by 中坊俊平太
>「期待されるパトスが人情である」
了解。わたし的に納得。
要は「期待される」=「快である」ってことだから、つまり快楽原則上のパトスが人情だって解釈してよろしいか?
>エセセセセ(←エセラカニアンの笑い声)
すげえジジェク派っぽくてワロタ。なんだっけか、「汝の症候を楽しめ」だっけか。
Posted at 2009.10.31 5:57 PM by 脂
君のせいで「プロレス」=「馬場vsブッチャー」=現代なら「ハッスル」って認識になってしまいそうだ。
いや君に似てるっていうプロレス好きな奴もそうなんだよ。「ハッスル」はいまいちだったらしいが。
Posted at 2009.10.31 5:59 PM by 脂
ああ、「馬場vsブッチャー」は西原マンガのニコニコしながら流血しあう馬場とブッチャーの絵でな。
Posted at 2009.10.31 6:00 PM by 脂
ちょうどさっき書いたうちのブログ記事とシンクロしたので報告しとく。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-576.html
=====
たとえば心霊現象など超自然現象を研究しようとしても、予算は下りない。「研究され尽くしていないところ」というのは逆に言えば多くの人間たちが必要としていないところなのだ。
=====
ここでの「期待されてない」=「多くの人間たちが必要としていない」としてわたしの中で繋がった。
快楽原則のせいで「便所の落書き」は研究されることを必要とされない、という理屈になって、納得できる。自分がわざわざ「便所の落書き」って言葉を使っているのも説明できる。
Posted at 2009.10.31 6:06 PM by 脂
今向こうの過去記事読み直してて気づいたんだが、すげーわたし君のジジェク好き見抜いてたじゃん。
この記事のコメント欄な。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-302.html
=====
一遍も嫌いじゃあない。
http://nicogori.air-nifty.com/funyako/
のマンガみたいで。
ジジェクもそっち系だな。一遍とかこの人のマンガレベルになれば好きになれるかもしれない。
=====
あ、うん、君のマンガ嫌いじゃあない。仏陀ヶ谷続き描けよバカヤロウ。
Posted at 2009.10.31 9:39 PM by 脂
>要は「期待される」=「快である」ってことだから、つまり快楽原則上のパトスが人情だって解釈してよろしいか?
そうだねぇ。
蛇足と知りつつ付け足すなら、「『期待されることを期待する』ことを期待する」というのも含んでいいと思うな。
最近の脂さんのエントリにでてくる “「考える者thinker」との再会を期待する人間”ってのと、当たらずとも遠からずかなと(勝手に)思ったり。
ちなみに「ハッスル」よりもアメリカのWWE関連のほうが「まがいもの感」全開でおもいろいよ。表層とメタの分離があって爆笑できる“質の良いパロディ作品”として仕上がってる。アンダーテイカーというレスラーがおすすめ。やりすぎで。
>たとえば心霊現象など超自然現象を研究しようとしても、予算は下りない。「研究され尽くしていないところ」というのは逆に言えば多くの人間たちが必要としていないところなのだ。
に関してなんだけど、(特に考えず)率直に僕の印象だけ述べると、なんかね、漁師のおっちゃんが一番美味しいところを食べるのと同じで、一番オイシイところは研究者が楽しみとしてこっそりやっているような気がするんだよね。趣味で。
“僕の印象”だけで突っ込んでいくとすれば、
「“『必要としていないところ』として判断されることを期待している”ことを期待している」んじゃないか。研究費を出す側と出される側の双方がね。こう言うと脂さんが言うところの「ゴッコ遊び」の範疇でもあるかなとも思える。
僕の誤読っぽいけどね。
>仏陀ヶ谷続き描けよバカヤロウ。
続きが描けない理由は察してください…。
Posted at 2009.11.2 1:01 PM by 中坊俊平太
>蛇足
昔書いてたギャグ小説で、余計なことばかり言って周りに迷惑かける「ダーソック」って名前のキャラ作ったんだがクラスメイトに「それ蛇足じゃなくて薮蛇じゃね」って言われてすげえショックを受けたのを思い出した。
>WWE
スコーピオンキングの人とかか。
>漁師のおっちゃんが一番美味しいところを食べるのと同じで、
これはあるな。アインシュタインやソシュールの晩年の研究なんかは「一番美味しいところ」だろう。あと知り合いの東大教授(助だったかもしれん)がSF大会の常連だとかって奴だな。そいつSF板の考察スレで普通にレスしてそうだ。SFじゃないが森博嗣も似たようなこと言ってた記憶があるがうろ覚えでどんな内容だったか覚えていない。
当然だ。それぐらいの楽しみがないと息苦しい学問村なんか生きていけないだろう。学者も実態はサラリーマンとあまり変わらない。
Posted at 2009.11.2 1:56 PM by 脂
>「“『必要としていないところ』として判断されることを期待している”ことを期待している」んじゃないか。研究費を出す側と出される側の双方がね。こう言うと脂さんが言うところの「ゴッコ遊び」の範疇でもあるかなとも思える。
これなあ、ピンポイントな指摘すぎて長くなりそうでめんどくさいんだが、『アンチ・オイディプス』で言ってる、
「近親相姦を禁忌にすることで、「お前たちは近親相姦を欲望していたのだ」と思い込まされているのであり、「私たちは近親相姦を欲望していたから禁止されていたのだ」というのと逆なのだ」
って論と似てるように思うんだな。
ガタリによればこのトリックは、オイディプスの三角形を強化する要素の一つで、精神分析が主にやってきた「オイディプス強化(マッチポンプ)という犯罪」の一つだ、ってことになるんだが。
あれだな、要は上島竜兵の「押すなよ、押すなよ」だな。
Posted at 2009.11.2 2:02 PM by 脂
そうなんだよな。「禁止されているからやりたくなる」ってバタイユ論法なんだが、わたしもそうだと思ってたけど、わたしにとっては言い訳だったんだよな。
スカトロなら、うんこは禁止されているから、禁止されていること、それを禁止する何かの代替物としてうんこを欲望する。
だけど、ただ単にうんこが好きなだけな奴もいる可能性はある。そういう奴はうんこが禁止されていようがされてなかろうが好きだろう。そういう奴は酪農業に就けばいいだろう。人糞じゃなきゃだめだと言ったらTOTOあたりに就職すればよい。これ名曲だぜ。
http://www.toto.co.jp/kids/song/index.htm
ガキのうんこ好きってのは、バタイユ論法での欲望としてうんこを欲望するのがおもしろくてしょうがないからなんだろうな。
『アンチ・オイディプス』は未開文明における近親相姦への無関心を強調する。未開文明の人間は近親相姦を欲望してるわけじゃない、と。なのになぜ禁止するのだ? それはむしろ近親相姦に欲望を仕向けようというトリックだろ、こちとらまるっとお見通しだ、てな論法なわけだ。
そう、禁止されているから欲望するのではなく、ただ単に好きなだけ、というのは欲求だ(精神分析学上の区別された欲望と欲求で言えば、な)。
ただ単にうんこが好きなだけ、って奴も、四六時中うんこが好きなわけじゃない。自分が糞ひって便器の中を覗き込めばいいだけの奴もいるだろう。欲が持続しない。食えば満たされる食欲のごとく、すぐ満たされる。欲求的。
従って、未開文明の人間が近親相姦を全く行ってこなかった、というわけでもない。ただ単に、食欲や排泄欲などと同じような欲求の処理として、近親相姦という事件が起こったこともあるだろう。しかしその犯人は、たとえば近親相姦をテーマに小説を書きたがる女子高生などのように、近親相姦そのものに執着してはいない。彼女は小説の中で「たまたま好きだったのが兄だっただけだ」などと書いているが、本当にそうであるのは排泄欲と同じような性的欲求で母親を犯したその犯人であるのだ。
ドゥルーズ=ガタリはそういう意味で「未開文明は近親相姦に無関心である」と述べたのだ。「欲望ではない」という意味で「無関心」と述べたわけだ。
うんこが好きであることが持続する、近親相姦モノばかりを書いている、その時点で、彼らの欲は欲望的である。従って、彼らがいくら否認しようと、バタイユ論法から逃れられない。
本当に好きなだけなら、欲求的になるのだ。
あー他人のブログコメントに書くのがもったいないくらいおもしろい論だと書いてから気づいたわ。
Posted at 2009.11.3 6:21 AM by 脂
「パラノ/スキゾ」って二項対立でよくバカが誤解するのが、スキゾがオタク的なら、マニアとか執着するのがスキゾだ、って奴。
逆なんだよな。パラノがマニアでスキゾがミーハー。
これもそうだよ。パラノは欲望的であって、スキゾは欲求的。
欲望は満たされず際限がないからマニアになるが、欲求は満たされちゃうからミーハーになる。
2ちゃんねるのデフォ名無し「名無しさん@お腹いっぱい」は非常にスキゾ的なんだよな、そういう意味で。
Posted at 2009.11.3 6:28 AM by 脂
>「パラノ/スキゾ」って二項対立でよくバカが誤解するのが、
ほんとこういうエセインテリって、実体は自分の好みで文章を誤読しながら読んでいるのに、「そうじゃない、ボクチンは冷静だ。論理的だ」なんてツラしたがるんだよな。
「自分の好みで文章を誤読する」のが普通。だから「冷静に、論理的に文章を読むこと」は非常に難しい。
この難しさをわかってない奴がエセインテリに多くて困る。
Posted at 2009.11.3 6:31 AM by 脂
お前って逆だよな。「ボクチンにそんな冷静で論理的な視点を求めないでくだちゃい」ってタイプだよな。
Posted at 2009.11.3 6:40 AM by 脂
林さんだったか、とってもつまらんことで君が誰かと議論してた記憶があるんだが、ここでの文脈なら、
「ボクチンにそんな冷静で論理的な視点を求めないでくだちゃい」って君
VS
「そうじゃない、ボクチンは冷静だ。論理的だ」って相手
って構図だったような気もする。
つまらなかったからよく覚えてないけど。だからごめん、適当に言ってる。
Posted at 2009.11.3 6:42 AM by 脂
ちなみにスキゾ論が逃亡論になるってのが間違いなんだよな。
その元ネタとなった『アンチ・オイディプス』を紐解けばわかるように、パラノってなオイディプス王だ。領土の保有者だ。だから脱領土化しようぜ、って意味で「逃亡」と述べている。
ここがすでに間違いなんだよ。
本当のスキゾフレニーは、はじめから領土になど執着していない。従って「脱領土」などではない。ドゥルーズ=ガタリはオイディプスの三角形というゆりかごの中にいるバカたちに向けて「脱領土」と言っているのだ。
つまり、「逃亡したがるスキゾ」はスキゾではないのだ。それは「スキゾになりがっているパラノ」でしかない。
Posted at 2009.11.3 6:57 AM by 脂
でもこれで見えてきたな。
「井の上にあるパトス」ってのが欲望的なパトス。そこにないパトスが欲求的なパトス。
そうだよな。自我と超自我がある前提で「欲望のグラフ」は書かれている。そのシステムは稼動する。
Posted at 2009.11.3 7:01 AM by 脂
ちなみに「逃亡してスキゾになろうぜ!」っていうこと自体が、「脱領土」という考え方自体が、領土に執着のないノマドたちの領土への征服になるんだよ。
領土に執着はないとしても生きる場所は必要だ。領土に欲望していなくても欲求の場は動物の生にも必要だ。
そこに大量の人間が押し寄せればそこは領土化していくだろう。野生公園などのように、区画を割り当てられて動物は生きるしかないだろう。
そんな簡単な世のコトワリが見えてないことが、浅田もドゥルーズ=ガタリも征服者、オイディプス王、パラノイアであることを自白していることになるんだよな。
だからまじで殺意を覚える。この辺の奴らにゃ。
Posted at 2009.11.3 7:12 AM by 脂
僕が色々な事に現を抜かしている間にすげぇ書いたね(笑)
しかもドゥルーズ=ガタリっていう僕の苦手コンビに言及しちゃってて…。
ドゥルーズ=ガタリが書いたものって訳者と僕の相性が悪いのかなんなのか知らんけど全然頭に入ってこないんだよね…。電車で読むと腕力が鍛えられる(でかいし重いしな)アンチオイディプスとミルプラトーを持ってはいるんだけど鉄アレーと同じ次元でしか活用できてない、と最初に断りつつ。
僕が現を抜かしている間に脂さんが書いたものは、まな板の上に載っている「ドゥルーズ=ガタリ」がなんであるかが解っていなくても面白い。ここに書くだけじゃ勿体無いから改めて“アブラブログ”にエントリしてみたら?
このへんの「欲求/欲望」の区別も知らなかった頃の僕がこれを読んだらきっとエキサイトするだろうね。
ってか、
>本当に好きなだけなら、欲求的になるのだ。
あたりの君の文章にかんしては「おー、そうだよね」って以外何も言う事ないな。
>お前って逆だよな。「ボクチンにそんな冷静で論理的な視点を求めないでくだちゃい」ってタイプだよな。
ああ。論理には惹かれるけど冷静じゃないもんね(笑)
そもそも「冷静で論理的な視点」ってのが不可能だろうし、何かを伝えようとしたら言語に頼らざるを得ないわけで、その上言語自体が(正確な伝達って意味ににおいて)充分に機能しないからねぇ。Aという言葉とBという言葉の境界線とか意味する範囲とかその他諸々が実に曖昧だしね。
誤読した上で咀嚼して納得する以外ないじゃない。
だから冷静さを欠いたまんまでとりあえず『示したいもの』の回りをウロウロ走り回らざるを得ない、と僕は思うんだな。
「連想ゲームのヒント」を半狂乱で矢継ぎ早に出しまくるってかんじ。
その意味では、脂さんにここまで書かせるってのは、僕としては「よしっ!」って感じだ。導火線に着火出来たっぽいからね。
>「ボクチンにそんな冷静で論理的な視点を求めないでくだちゃい」って君
>VS
>「そうじゃない、ボクチンは冷静だ。論理的だ」って相手
うん。はやしさんと僕とは滅多に噛み合わないんだよね(笑)
嫌われてはないと思うんだけど「あ、噛み合わねぇコイツ」って思われているであろう事は、ここ最近はやしさんからツッコミが来ない事から容易に想像できる(笑)
Posted at 2009.11.3 1:45 PM by 中坊俊平太
>区画を割り当てられて動物は生きるしかないだろう。
オレオレ。それオレ。
Posted at 2009.11.3 2:09 PM by 中坊俊平太
ってかさ、僕ふつーに納得しちゃって言う事ないんだよな。
「互酬」って意味でさ、どうしても書いてもらった分量に対して同じくらい書かなきゃいけないようなそういう脅迫がないではないって感じなので、言うことが無いととても困る(笑)
Posted at 2009.11.3 2:17 PM by 中坊俊平太
>区画を割り当てられて動物は生きるしかないだろう。
>
> オレオレ。それオレ。
区画を承認して(自覚して)生きられるのはすでに動物じゃないけどな。
でもまあ区画の境界にあるのが万里の長城みたいなものだったり、断崖絶壁だったりしたら、羽のない動物ならつつがなく区画の中で生きられるだろう。
しかし最近は「そんなの動物がかわいそう」ってなことを言うおばちゃんや、それこそドゥルーズ=ガタリや浅田みたいな「脱領土」とか「逃亡」を主張する奴らによって、区分けの断絶があやふやになって来ている。万里の長城や断崖絶壁などではなく、今そこにあるのは金網程度だ。だからわたしみたいなのは穴を見つけて飛び出てしまって観光客を襲って撃ち殺される。
わたしよく他人に噛みつくのを「エサをやろうとする観光客の手に噛みつく猿みたいなもんだ」とブログに書いたが、そういうことだ。観光客からしたら、「なぜ私はエサを上げようとしているのに噛みつかれなきゃならないの?」とか思うだろうな。ここが人間の思考と動物の思考の違うところだ。
ラカンの「女(ファルスのない人間)は存在しない」というのは、万里の長城みたいなもんを作ろうとしたんだろうな。
「女は暗黒大陸だ」って言うフロイトと比べ、ラカンは「ボクチンは女になんか欲望しないもーん、欲求はするかもしれないけどねwww」と言っているわけだ。「暗黒大陸」なんて表現はいかにも対象a的だから、フロイトは普通に女に対し欲望していると言える。「暗黒大陸」だから際限のない欲望になる。「存在しない」まで言っちゃう必要がラカンにはあったんだろうな。精神分析家の方が対象aでなけりゃならないから。ラカンの自論では。
最近フロイトのおっさんの方がかわいく思えてきたわ。痴漢冤罪で裁かれるおっさんみたいな。
Posted at 2009.11.3 4:44 PM by 脂
なんかの番組で、動物園のゴリラだかなんだかがノイローゼになって、人間(飼育員とかか)を襲うようになったんだが、自分を見学してる客たちがうまそうなものを食ってるからそうなったんじゃないか、とか分析されて、そこを飲食禁止にしたら治ったらしい。
万里の長城や断崖絶壁じゃなく、金網だけだとそうなるわな。
Posted at 2009.11.3 4:50 PM by 脂
>だから冷静さを欠いたまんまでとりあえず『示したいもの』の回りをウロウロ走り回らざるを得ない、と僕は思うんだな。
となるのは納得。「『示したいもの』の回りをウロウロ走り回らざるを得ない」からポストモダン思想は「言葉遊びにすぎないじゃん」とか言われる。脳内ちんちんな奴らに。
そりゃそうだよな。ファルスがきちんとあるから、それが軸になって強固な超自我が形成される。超自我はシニフィアンの集合体であり、無意識なわけだから、そんな奴らに「言葉遊び」は不要だろう。
設計図が無意識にあるから、彼らはシニフィアンを構築していくだけでいい。そんな奴らは「(建築)設計とは脳内実験であり、図面はその結果の一部にすぎない」とかって某建築家の言葉を一生理解できないんだろうな。とか言いながらこれって「現場に批判される設計者」ってよくある構図への言い訳文脈だったように思うが。わたしゃ基本現場側。
「言葉遊び」が不要な奴らはそんな奴ら同士でやっててくれ、って思うわ。ホモソーシャル。わたしゃホモソーシャル自体は否定しない。
つかこの議論の最初を思い出してみろ。「義理と人情ってどういう意味?」って「言葉遊び」からこうなっている。
>導火線に着火出来たっぽいからね。
うるせえよしけった導火線ヤロウ。
Posted at 2009.11.3 5:00 PM by 脂
「冷静さを欠いたまんまでとりあえず『示したいもの』の回りをウロウロ走り回らざるを得ない」
=
ポストモダン思想的「言葉遊び」
=
君がめんどくさいと思っている「とても(言葉を)吟味しなければならない」状態
ってわけですな。
Posted at 2009.11.3 5:16 PM by 脂
>ここに書くだけじゃ勿体無いから改めて“アブラブログ”にエントリしてみたら?
自分でも「上島竜兵の「押すなよ、押すなよ」論」はおもしろいと思えるので、記事にしようとがんばってみたんだが、この記事に触発されて「君の言う人情と義理ってなあに?」ってところから書かなきゃいけなくてめんどくせえなあ、ってことになったのであきらめた。
一応新記事でここのURL貼ったからそれでいいや。
なんでわたしんとこに来るキチガイがお前んとこに来ないんだろうな。いやお前に限らず、リンク貼ってる奴らんとこに。ライトノベル哲学書の著者である飲茶なんかキチガイと接触させてみたいんだけど。
Posted at 2009.11.3 6:28 PM by 脂
>ライトノベル哲学書
これしつこく言ってるが、飲茶自身がそう言ったんだからな。「僕の哲学書はライトノベルみたいなもんだ」って。だから「実際にライトノベルでも書いてみようか」ってなって某ライトノベルサイトに来たらしい。
Posted at 2009.11.3 6:29 PM by 脂