この記事はこれの続編みたいな感じね

急に言うのもなんだけど、ベーシックインカムは「実現しないか、実現したとしても僕たちが欲望するような仕方では僕たちを満たさないだろう」というところに5000円賭けてもいい。とは言え、賭けに負けたとしてもその5000円は“渋々”という素振りを伴った飲み代として履行されるだろうけど。
なにかこの、重大なものを見落としているような気が僕にはするんだよね。

僕の言いたいのは乱暴に言うとこうだ。
ベーシックインカム(以下、略してBI)は、とても魅力的な論であって、現状の体制が孕む諸問題をいろいろ解決してくれるように見える。
調べれば調べるほど魅力的に思えてくるのだけれども、その“魅力的に思う”と言う事は、“欲望している”と言う事だ、と言い換えてもいい。
欲望には欠如が必要だ。
つまり、BIとそれが齎すであろうアレコレへの欲望は、現状が現状であるために(資本主義が資本主義であるために)切り捨てなければならなかった諸事項なのであり、それは決定的な欠如として僕らの目の前に横たわっているのだ。そうでなければBIを欲望することはない。
簡単に言い直そう。
BIは、現状の内部からのみ欲望し得るのだ。

ぱっと翻って共産主義を見てみよう。
髭もじゃのマルクスやらなんやらとその一派があれこれ欲望しつつ共産主義という概念を編み出したのは、資本主義の内部に於いてだった。それであれやこれや格闘した末に、とりあえずソビエトが成立しましたよ、と。こうなったわけだ。
しかしながら、資本主義の内部において欲望された「共産主義」というものが、資本主義の外部において、つまり共産主義体制の内部において欲望され続けるということはない。欲望の対象だったものがそこではもはや欠如ではないから。
そこで、グルジアの小男が(自覚的か無自覚なのかは別として)、「共産主義への“欲望”」を延命させるためにやった事と言えば、当初の理想とはかけ離れた統治の仕方だった。
共産主義であるといいながら、理想とは違う体制を布く事によって「共産主義への“欲望”」を維持させたのだ、と僕が言ったら言い過ぎだろうか。
大体の共産主義国家は、専制統治をするとか、恐怖政治を布いてみたりとか、世襲だったりとか、そもそもの共産主義のユートピア的な理想とはかけ離れた統治形態をとるよね。
これらはつまり「共産主義の内部からは共産主義を欲望できない」為に、理念や理想とはかけ離れた“現状”を創り出して「共産主義」を常に“現状”の外部に置いておかなければならないと言うジレンマを表しているのだと思うんだ。
ペレストロイカとか、グラスノスチとか言い出すと途端に崩壊するわけだ。

唯一巧くいってそうなキューバなんかは、もう発展とか進歩とかを「欲望すること」自体を放棄する事によって維持しているような気がするんだよな。言い過ぎちゃえば「うつ病的」体制って感じかな。

要するにさ、BIが魅力的なのは、それ自体が“現状”の外側にいる欠如だからなのであって、BIが“現状”になったら、BIに欠如したものを欲望するようになるだろうし、それこそ現状のようなマネーゲームを欲望するようになるんじゃないかしらね。
無理矢理実現させても「なんだこりゃ」って言われると思うのよ。

「BI」というシニフィアンが対象aの役割を演じている、とまで言い切る自信はないのだけれど、それに近い事になっていると思う。不確定でハッキリとしないBIという概念の内部に「皆が幸せになれるんだよー」的な脳みそお花畑な欲望を投影しちゃってる人々も少なからずいるしね。
僕が感じている「何か重大なものを見落としてる感じがする」という不安は、この対象aめいた感じ、というか、直接向かう事が出来ないやりきれなさっていうか、不可能性って言うか、なんだかそんなまどろっこしい革靴の上から足を掻くような、そんな「アレ」なんだと思うんだよな。
んー、誰か補足してくれないかな。。

ところで、BIの実現を掲げる新党日本は、新党ペログリって言う名前のほうが票が集まったと思うよ。座りが良いし。カタカナで略称として書きやすいし(あ、なんか投票が明日なのに“集まらなかった”事を前提に言ってるな僕。)。