ベーシックインカムに賛成している有名人というのは、田中康夫なりホリエモンなり、何故インチキ臭い人々なんだろうか。
と、田中康夫がベーシックインカムを公約に掲げて話している映像をTVで眺めながらふと思った。
ああ、そもそもベーシックインカム自体が、支配的イデオロギーに染まっている人々からするとインチキ臭いか。でもなんでだろう。なんでベーシックインカムは一般的な目から見るとインチキ臭いのだろうか。

ベーシックインカムそのものが、支配的な(多分に反共的な、二元論的な支配であるけれども)「資本主義」というイデオロギーの、実際的な行き詰まりを解消する可能性を多く孕んでいるにもかかわらず、「ベーシックインカムって言う考えがある」ということを耳にした多くの「資本主義者」達は、いかにも「インチキ臭いなそれ」という表情を浮かべて、脊髄反射的な反論を感情的に展開する(ことが多いように思う。少なくとも僕の周りでは大体そう)。
これはとても面白い現象じゃないかと思う。

思うに“カトリックvsグノシス”だとか、“(支配的だった)共産主義体制vsトロツキズム”だとか、いろいろ例が思い浮かぶのだけれども、ある思想の「そもそものメッセージ」を忠実な思考経路を辿って、まじめに考えた結果を前面に押し出すと、迫害されるという結果を招くのだろうと思うんだな。
逆に言うと、ある思想が支配的なイデオロギーに成長しようという時、「そもそものメッセージ」は隠されなくてはならないのだろうと思うのだ。
支配的なイデオロギーになろうという時、つまり多数決的に支持されようという時、論理的な体系は隠されなければならない。さもないと全員が論理的に考え、その好き嫌いを厳密な形で認識してしまうから、最大公約数になれず「そういう考えもある」と一言で片付けられてしまうようになってしまう。
支配的なイデオロギーになるためには、大衆を抽象的なイメージで説得しなければならないのだ。ぼんやりと、なんにでも当てはまるような形で。

■■

僕は資本主義的な視点で(つまり初めてBIを耳にした人の多くの人が呟く「なにその社会主義的なそれは」という反応の対極にあるという意味、もしくは現実的な問題を解消して極力延命させようという立場として“資本主義的”という意味ね。)ベーシックインカムに賛成なのだけれども、これはきっと定着しないんじゃないかと思うのだ。
ベーシックインカムは、支配的なイデオロギーになるには「そもそものメッセージ」が明確であり続けているがゆえに「正しすぎる」。
逆に言うと、支配的なイデオロギーになるためには確信をぼやかさなくてはならない為に、定着したとしても本来的な性格を失うだろう。本来的な性格を明確に保持したままであれば、「インチキ臭い」ままだろう。

■■■

悲しいけれども、そういうものなんじゃないかと僕は半ば諦めている。
と、いう考えに立って見渡すと、現在支配的なイデオロギー、つまり民主主義とか資本主義だとかは、最初の段階ではもっとラディカルだったのではないか、と思ったりするのだけれど、どうなんだろう。でもそれはブログに書くような感じではなくて論文になりそうで面倒くさいので考えたり調べるのは止しておこう。
田中康夫にしても、「ペログリ」とか言い出すようなヤツだし、ホリエモンにしてもアレな経緯を持っている人だから、ベーシックインカムが“インチキ臭い”のと同じような理由でやはり“インチキ臭い”のではないのだろうか。そう思うんだ。

※ベーシックインカムがどのように「正しすぎる」のかについては、興味があれば各自勝手にググるなりどっかで本を買ってきて読んでください。ベーシックインカムについて全部書くにはブログサイズの文章では済まなそうなので、すごい勢いで割愛していますが、調べると面白いですよ。