中学何年生かの夏休み「出来るだけ難しい本を読んでやろう」と勢い勇んで図書館へ行き、偶々手に取ったのがウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」。
その時の僕に理解できる筈もなく(今でも再読の度にあの箇条書きに苦しむ:笑)、ただページをパラパラめくるだけだった。
しかしながら、もうほんと出だしの2行目に書いてあった「1-1世界は事実の総体であり、ものの総体ではない」と言うフレーズが、当時の僕に物凄いインパクトを与えて、それだけで世界が変わったような気がした。その衝撃は今でも時々思い出す。

それから数年後、僕は高校生になって美術部に入った。(ただし実力はない。 参照 )
美術部には何故か「考古学マニアのヤンキー」という不思議なやつがおり、時々一緒になって縄文 / 弥生土器の破片を探しに秩父の方まで冒険に行ったものだ。

蓋然性のある事なのかどうかは判らないけれど「美術+縄文」で岡本太郎にぶつかった。

「僕たちは数十億年前の地球にあったアミノ酸のスープから長い年月をかけてここまで進化した。今生きている全ての生命は進化の最先端にいる。だから僕たちの一挙手一投足全てが、進化の端緒なのだ」って、多分岡本太郎だっただろうと思うんだけど、意訳するとそんな感じの発言があったように思う。発言がいっぱいあるからよくわからないが。

そして僕が言葉にせずに(っていうか言葉にする必要がない)ぼんやり思ってきたのは「変わらないのは死者だけで、それ以外の物事は変わり続けている」ということ。

これらを会社の喫煙所でサボりながらごった煮にしてみた。
するとつまりこうなろう。

「変わり続ける事で、新たに事実を産み出すのが人間の本質」≒「(人間の認知できる範囲の)世界を作り出す事が人間の本質」

もっと僕っぽく言い直すと、
「なるべく多くの出来事を起こせ。そしてそれを愉しめ」
ってとこかな(出来事を起こしておきながら愉しめていないのが、うつ症状を伴う諸々の病気)。

やらされるな。やれ。

それが(良し悪しは別として)僕たちの「進化」だと思う今日この頃だ。